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【インタビュー】福島市出身の脚本家・持地佑季子さんが初の小説を出版!

福島市出身の脚本家・持地佑季子さんがご来室。映画『青空エール』『くちびるに歌を』『プリンシパル 恋する私はヒロインですか?』の脚本も手掛けてきた持地さん。2018年8月に自身初となる小説『クジラは歌をうたう』を出版!作品に込めた想いなどを聞いてみました。

  • 情報掲載日:2018.10.07
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

―小説『クジラは歌をうたう』発売、おめでとうございます!これまでは主に映画の脚本家として活躍されてきましたが、小説を書くに至った経緯をお聞きしたいです。

持地「脚本というのは受注があってから書くことが多いんですけど、自分で発信したい、どうしても書きたいものがあったので、小説にしてみようと思いました。
2011年に、山﨑賢人さん主演の『管制塔』というショートムービーを作ったんですけど、その話をもっと長くできないかな、って考えていたことがスタートですね」

―“書きたいもの”とは?

持地「ちょうどその『管制塔』が公開になる直前に震災があって。その頃、Twitterをやっていて、私のプロフィールに「福島県」って書いてあったからか、福島県の男の子がフォローしてくれていたんです。震災が起きた後、「そういえば福島県の子がいたな」と思い出して見てみたら、3月11日から更新が止まっていて。その後も何度か見てみたんですけど、何日経っても、何ヵ月経っても更新されないんです。それが結構ショックで。もし、亡くなっていたとしても、誰かが消さない限りずっと残り続けていく……SNSとかブログとか、ネットって結構残酷だなぁ、これじゃ忘れられないなぁ、と思ったんですよね。

その後に、父親の27回忌があったんですけど、27年も経っていると、みんなもう父のことを思い出として話していて。悲しい、というより「あんなこともあったよね」という感じ。誰かが亡くなっても、時間が経てば思い出になっていくんだなと思いました。
その時期のいろんな出来事が重なって、“亡くなった人を思い出にすることは悪いことじゃない”っていうことをテーマに書きたいと思ったんです」

―持地さんの実体験から生まれた想いが、この1冊に込められているんですね。脚本と小説を書くときの違いはありましたか?

持地「脚本って基本的に関係者しか読まないので、そんなに文章を練らないんです。分かりやすくすることが大事。「こっちを向いた」とか「笑っている」とか。小説は、いろんな人が見るじゃないですか。だから表現方法が全然違いましたね。あと心の中の気持ちは脚本に書けないんですけど、小説だと書けるので、どうやって表現しようかなぁ、と考えながら書きました。小説書きながら脚本の仕事も並行していたので、それが大変でした」

―どんな方に読んでもらいたいですか?

持地「小説の中に17歳のシーンと、30歳のシーンがあるんですけど、17歳の頃に『死んだ人を忘れたりしない』って思っていても、いろいろ人生を重ねて30歳になったときに、『忘れてもいいんだ。思い出にしてもいいんだ』って思えることもある。それってやっぱり年齢を重ねてこないと分からないことで。そういうことで悩んでいる子がいると思うんですよね。自分もそうだったので。そんな子達に届けば良いなと思ってます」

『クジラは歌をうたう』 著:持地佑季子  集英社文庫刊  ISBN:978-4-08-745782-7  本体640円+税
『クジラは歌をうたう』 著:持地佑季子 集英社文庫刊 ISBN:978-4-08-745782-7 本体640円+税

―なかなかない機会なので、持地さんが脚本家になろうと思ったきっかけも知りたいです。

持地「中学生の頃に見ていた、木村拓哉さんと中山美穂さん主演の『眠れる森』というドラマが、めちゃくちゃ面白かったんですよ。エンドロールのテロップで、一番最初に脚本家・野沢 尚(のざわひさし)さんの名前が出てきて。『この人が書いたんだ!』と。野沢 尚さんに憧れたのが、脚本家になりたいと思ったきっかけですね」

―脚本家になるまで、どんな道のりがあったんでしょうか?

持地「脚本家にどうやってなったらいいのか分からなかったし、美術家になる夢もあったので、大学は美術系に入りました。でも周りがすごすぎて中退しちゃって。脚本家になるために、とりあえず業界に入ろうと思ってテレビ局に就職して、バラエティー番組のADとかやってました。すごく楽しかったんですけど、勤めて3年くらいのときに『そうだ、自分は脚本家になりたかったんだ』と思い出して(笑)、テレビ局を辞めて、法律事務所で働きながら脚本の学校に通い始めました。

2008年に『フジテレビヤングシナリオ大賞』で佳作を受賞して、その後『函館港イルミナシオン映画祭』のシナリオ大賞でも最終まで残りました。それがきっかけで、三木孝浩監督に出会って、一緒に『管制塔』を作ったのが脚本家としてのデビューですね」

―これまで手掛けてきたものは「青春もの」が多いですね。

持地「三木監督との出会い、作品との出会いもありますけど、好きなんでしょうね、青春ものが(笑)。反抗期だったからかなぁ。やり残したことがあるのかも」

―今後の展望など、教えていただけますか。

持地「脚本家としては、映画はもちろん、ドラマもやってみたいですね。これまで原作があるものが多かったので、原作なしの作品を作ってみたい。
小説家としては、いろんなものを書いていきたいなぁ。小説って脚本より自由で、何でもありなんですよ。まだまだいっぱい書きたいものがあるので、それを全部形にできたらいいなと思います。

脚本でも小説でも、福島を舞台にしてみたいっていうのは、一つの目標としてあります。福島が舞台の青春物語とか、面白そうですよね。今回の小説は夏の沖縄が舞台だったので、自分の思い出も盛り込みつつ、冬の福島を舞台に書いてみたいです」

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