昭和初期の福島に思いを馳せて紅葉山へ
古関裕而と野村俊夫のレコードデビュー作「福島行進曲」。ドラマでも忠実に主人公・裕一と鉄男のデビュー作として描かれていましたね。
それにしてもなぜタイトルが「行進曲」なのか?
思えば、少年時代に鉄男が作詞したのも「浮世小路行進曲」。どちらも歌詞の雰囲気と合っていないと思うんですが、当時は違和感なかったのかな~、不思議。
それはそうと、この福島行進曲。地方小唄(ご当地ソング)らしく、歌詞の中に3つの「福島ワード」が登場します。今回はそれについて解説してみます。
◆福ビル
正式名称は「福島ビルヂング」。
昭和2年に街のド真ん中に登場した3階建てのビルで、福島県内初のエレベーターを備えたことで当時、注目を集めました。商業施設や食堂、公共施設などが入った複合ビルで、昭和初期には「福島の流行は福ビルから」と言われたとか。
昭和47年に解体されたので、私は見た記憶がありません。現在、このビルの跡地は「まちなか広場」と呼ばれ、イベントスペースとして重宝されています(個人的には、福ビル解体後に一時期営業していた「エンドーチェーン」が好きでした)。
◆柳並木
福ビルから福島停車場(現:福島駅)までを結ぶ道(現:駅前通り)は、その昔「青柳通り」と呼ばれていました。それは、この道に柳並木があったから。
昭和初期には、この通りをモガ・モボ(←分からない人は自分で調べてね)が闊歩していたとか。戦前の写真でその様子を知ることはできますが、今は街路樹すら1本もなく、残念ながら当時の面影はありません。
◆紅葉山
福島市で紅葉山といえば、「紅葉山公園」のこと。
上記2つとは異なり、今も実在しています。場所は、福島県庁舎の東隣。県庁界隈は、かつて福島城があった場所で、紅葉山公園は二の丸外庭だった場所。昔は、池や茶屋、築山(人工的に造った山)などがあり、一時期は福島県立図書館などもありました。
すぐそばには阿武隈川が流れ、その河畔(隈畔「わいはん」と呼ばれています)とともにデートスポットとして人気があったとか。今は、デートで訪れるにはちょっとマニアックな場所になった印象ですが、木陰や川辺でボーっとしたい人には最適な場所です。
紅葉山公園を取り上げたついでに、福島市が城下町だったことにも光を当てたいと思います。
正直言って、地元でも「福島市=城下町」と認識している人は多くありません。私としては、目立つ場所に城下町の遺構がほとんど残っていないことが、その最大要因と思っています。ですが、紅葉山公園に来れば、城跡だった面影を感じることができます。
お城に相応しい円形の池(今は水が抜かれてます)、堂々としたケヤキの巨木、福島城の前身・大仏城時代の宝塔などなど。そして、なんといっても、福島藩の藩主・板倉重昌公を祀った板倉神社が建立されていることも見逃せません。参拝しながら、お城があった時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。