2018年3月5日に発表された第90回アカデミー賞。日本のマスコミ各社は軒並み、メイクアップ・ヘアスタイリング部門で日本人アーティスト・辻 一弘氏が受賞したという事実の快挙性を大々的に取り上げた。
そもそもアカデミー賞にメイクアップ・ヘアスタイリング賞部門という賞が設けられていること自体、ほとんどの人が意識もしない(僕もそう)。受賞したのなら、これをきっかけに過去にこの部門でどんな映画が受賞しているのかとか、受賞作「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」がチャーチルという第二次世界大戦の歴史の立役者をどんな風に語っているのだとか、少しは併せて伝えようとする姿勢もほしかった。「日本人がアカデミー賞を受賞!」のワンフレーズのみで、平板な印象が否めない。さらにはこのニュースの露出に時間を割き、主要部門受賞結果の言及すらまともにされなかったのもさびしい(なので、ここで少しはフォローさせてほしい)。
アカデミー賞の見どころといえば、やはり最後に発表される作品賞だろう。私はほぼ「スリー・ビルボード」が獲ると信じて疑わなかったので、「シェイプ・オブ・ウォーター」の受賞はちょっと意外だった。だけど一方で、アカデミー賞というイベントは、作品の美学的評価以上に話題性、特に時の政治トレンドやアメリカ社会の空気をどれだけ反映しているかという要因を、選考基準にする傾向が暗黙の了解としてある。とりわけ保守的な共和党が与党だと、アカデミー協会はアメリカ人のポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)を内外に示す絶好の意思表示の機会ととらえがちだ。まして、何かと話題になるトランプ氏が現職大統領の座に就いているご時世である。そうならそうと割り切り、開き直ってアカデミー賞授賞式で打ち出されるメッセージを楽しむことが映画ファンとしては正しい態度だと思うのだ。
大統領就任前後から、トランプ氏は「国境に壁をつくる」と移民や経済問題でメキシコを問題にした。実はハリウッドはヒスパニック系がかなりの割合で要職を占めていて、作り手にも優秀な人材が多い。今や大監督となったアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ(「バベル」「レヴェナント」など)や世界最高といわれる撮影監督エマニュエル・ルベツキ(「ゼロ・グラビティ」「バードマン」「レヴェナント」など)など、メキシコ系映画人の存在感はとても大きいのだ。
「シェイプ・オブ・ウォーター」は作品賞に加え、監督賞も受賞したが、その監督ギレルモ・デル・トロもまた、メキシコ人だ。ここ数年は、作品賞を獲った映画に監督賞はあげないという流れがある。しかし今回、セットで同じ映画が受賞したというのは、監督がメキシコ人だったから(もちろん、ギレルモ・デル・トロも実績申し分ない監督)ではないかと深読みしたくなるのだ。そういう文脈で考えると、長編アニメーション映画賞の「リメンバー・ミー」ももろにメキシコが舞台の映画だ。
メキシコ全国民が骸骨のコスチュームに身を包み、先祖の霊を偲ぶ「死者の日」。ミュージシャンになることを夢見る少年・ミゲルは、家族の厳格な約束事によってギターを弾くどころか音楽を聴くことさえも禁じられていた。ある日、彼は古い家族写真を見て自分の先祖が伝説の音楽家・デラクルスではないかと推測する。そして、墓に忍び込むと、先祖たちが暮らす「死者の国」に迷い込んでしまう。死者の国で出会ったヘクターと共に、夕刻までに何とか元の世界に戻る方法を探すというストーリーだ。
マリーゴールドを菊に、オフレンダ(祭壇)をお墓に置き換えると、「死者の国」という風習は見事に、日本のお盆のイメージと重なる。日本人はそういう意味で、親近感を持って観れるだろう。メキシコや北米では、メキシコの死者の日に合わせて10月末から11月にかけて公開されたが、ディズニー日本支社は春分の日の時期、3月半ばに合わせた。ディズニー映画の春休み公開はよくある事だが、3月は墓参りの時期でもある。この映画を観た人は、墓参りに行くときに今までとはちょっと違った心持ちになるだろう。
だが、アメリカではどう観られているのか。亡き先祖や家族への懐旧の想いの強さはメキシコ人だって、どの民族に引けを取らないほど情が厚い。ヒスパニック系の人々に対する偏見を取り払い、イメージ改善につながる素晴らしい作品だ。メキシコ人を敵視するなんて、トランプはどうかしていると政治的に位置づけて語る人も多いと思う。文化と政治は立て分けて考えるべきというより、どう結び付ければよいかという概念すら抱かない日本人と、文化(とくに映画)は政治と不可分だとする欧米人の意識の差は未だ大きい。ましてや映画に対するアメリカ人リベラル層のプライドの強さは、われわれ日本人にはちょっと想像できないものがあるのだ。日本人にとって、映画は外来文化であり、アメリカ人やフランス人にとっては自国の伝統文化なのだという意識の違いといってもいい。そんな目線で、映画を楽しむ観方もありだという意味で、アカデミー賞は興味深いイベントだと僕は毎年、思うのだ。