母校の校歌やお馴染みの市町村歌にも!
第52話では、主人公・裕一が藤堂先生から頼まれて作曲した、「福島吾妻(あづま)尋常小学校」校歌のお披露目会のシーンがありました。当コラムの第1回目で、裕一の母校「福島信夫小学校」の名前を、「架空の学校なのに絶妙なローカルネーミング」と書きましたが、今回も絶妙です。「吾妻」は、地元のシンボル「吾妻山」からとったものですし、福島市内には「吾妻中学校」という学校もあります。実在する中学校の名前を小学校名に変換する形は、前出の信夫小学校と同じパターン。今後、3校目があるのかどうか気になります(私だけ?)。
さて、今回の校歌のエピソードが物語るように、古関裕而は、校歌や市町村歌などの公共的な曲を数多く残しています。特に地元である福島県内では、たくさんの歌を手掛けています。
でも正直、母校の校歌を古関裕而が作曲していることを意識している人は、そんなにいません(学生の頃はみんなそんなもんですよね)。でも、エールの放送が始まってから、古関裕而が自分の母校の校歌を作っていたことに気づき、それをにわかに自慢する風潮が見受けられます。しかし、福島県内だと数が多いので、「あ、そう、俺の学校もそうだけど」みたいに、流される可能性は大です。
参考までに、作曲した膨大な数の校歌は、古関裕而記念館のHPにリストが掲載されています。気になる方は下記リンク先へどうぞ。
福島県内の市町村歌については、郡山市の「郡山市民の歌」、相馬市の「相馬市民の歌」、川俣町の「川俣町民の歌」などを作曲しています。特に、郡山市民の歌は、あの山崎育三郎さん演じる佐藤久志のモデルになった本宮市出身の歌手・伊藤久男が歌い、コロムビアレコードからレコードも発売されています!このことに福島市民である私としてはジェラシーを感じてしまいます。
だって、我が福島市の「福島市歌」の作曲家は古関裕而じゃないんです。じゃあ誰かというと…、あの山田耕作です!そう、劇中で志村けんさん演じる小山田耕三のモデルになった作曲家です。これはこれで不思議なめぐり合わせな気がするのですが、私としてはやはり古関裕而に作曲してほしかった!
この市歌が発表されたのは昭和11年(1936年)で、古関裕而が最初の大ヒット曲「船頭可愛や」を発表した翌年です。タイミング的には、作曲を依頼してもおかしくなかったはず。でもヒット曲がまだ1本では、実績が足りなかったのかもしれませんね。残念です。
とはいえ、地元を離れても、福島を愛する心を持ち続けた古関先生。市歌は作曲していないものの、「わらじ音頭」「福島行進曲」「福島小唄」「阿武隈の歌」など、いろんな福島ソングを残してくださってます。特に、福島市の夏まつり「わらじまつり」で半世紀も使われているわらじ音頭は、福島市民には超お馴染み。メロディーがDNAに組み込まれているといっても過言ではありません。
ちなみに、古関裕而の妻・金子さんの故郷愛知県豊橋市の市歌も、しっかり古関裕而の作曲によるものでした(羨ましい!)。