福島市を拠点に活動しているシンガーソングライター・CCD。エレクトロサウンドを巧みに操り、透明感のある歌声を重ねて作る楽曲は、聴く者を独特の世界観へと導く。
2011年に拡張型心筋症を患い、補助人工心臓を埋め込んで地元・福島で闘病中。音楽活動と並行して、ヘルプマークやグリーンリボンの普及、啓発活動を行っている。今日に至るまでの歩みや、音楽を通して伝えたいことをじっくりと掘り下げて聞いてみた。
―本題に入る前に、「CCD(シーシーディー)」というアーティストネームについてお聞きしたいです。どんな由来があるんですか?
CCD「東京のライブハウスで働いていた時に、そう呼ばれてたんです。本名の「宍戸(ししど)」からもじって、CCD。初めてライブする時に、そのままCCDでいいかな、と思って今に至ります」
―なるほど。では「CCD」としてアーティスト活動を始めたのはいつ頃ですか?
CCD「2016年かなぁ。入院することが決まっていて、その直前に『CCD祭』というイベントを企画したんです。福島の知ってる人たちとか、東京で知り合った人たちに出演してもらって。自分が出るつもりはまったくなかったんですけど、出演する人に「CCDも何か歌えば?」って言われたんです。曲は趣味で作ってたから、それに歌詞をのせて、音源も作って……勢いでステージに立ちました(笑)」
―ライブハウスで働いていた頃から、福島に戻って音楽活動を始めるまでの経緯を、ぜひ教えていただきたいです。
CCD「元々音楽が好きで、裏方をやってみたいという気持ちがあって。それこそ音楽ライターとか興味あったんですよ。とにかく音楽に携わりたかったんです。
とりあえず実地でいろいろ勉強しよう!と思ってライブハウスに飛び込みました。渋谷の「club asia(クラブ エイジア)」という場所で働いてたんですけど、そこでの仕事がめちゃくちゃ楽しくて!今まで聴いたことのないジャンルの音楽も聴けたし、音楽だけじゃなくてダンスとか、いろんなパフォーマンスも見れたし。ほぼ毎日ライブハウスにいる感じでしたね。何かに熱狂してる人たちを見るのが楽しくて、夢中でやってました」
CCD「ずっと続けていきたいと思ってたんですけど、その時期に心臓の病気で倒れちゃって。意識を失って、目が覚めた時には3日経ってました。一旦福島で入院生活をして、復活したんですけど、体力的な面でライブハウスに戻るのは難しくて。復活したら、元の生活に戻れると思ってたんですよ。まだまだやりたいこともたくさんあったし、イベントの準備もしてたし。でもそれが全部ダメになってしまって。突然今までの日常から切り離されたところに来るとすごく悔しくて、やりきれない気持ちになりました。特に、ライブハウスに戻れないってなった時はめちゃくちゃ泣きました。
家族としては、そのまま福島にいてほしかったと思うんですけど、私がすごく無理を言ってもう一度東京に行って。仕事として音楽に携わっていきたかったけど、趣味としてライブに行くようにしよう、って吹っ切れて、3年くらいは東京で過ごしました。
25歳の時に、初めて自分で企画してイベントをやりました。その数ヵ月後に、もうダメだっていう倒れ方しちゃったんです。このまま死ぬんだって思うくらいの発作だったので、すごく怖くなったのもあるし、これ以上私の意地で東京にいる訳にはいかないなと思って、福島に戻ってきました。
それからすぐに阿部さん(※)のところに行って、「イベントやりたいんです」という話をして。少し間は空いたんですけど、2016年の初企画・初ライブにつながっていくという感じです」
※U-ONE MUSICスタッフ。「福島アウトライン」「Player's Cafe」ブッキングマネージャー
―初ライブはいかがでしたか?
CCD「あまり緊張はしなくて。新鮮な感じもなかったかなぁ。久々に会う人も多かったので「お久しぶりです~」っていう感じでライブしました。
私は今、補助人工心臓という機械が心臓に入っているんですけど、これを入れる直前にイベントを開催したので、「これから補助人工心臓を入れて、心臓移植待機者になるんです」 ということをステージ上でご報告させてもらいました」
―その後、福島ではどんな活動をされてきたんでしょうか。
CCD「初企画から2年半くらい経った時に、「こんなに元気になりましたよ」ってお知らせしたいという気持ちで、2018年に『福籠(ふくかご)』というイベントを行いました。前回出演してくれた人達を呼んだり、知り合いの医療関係者にも来てもらって、座談会を開いたりして。
そのイベントの後は音楽活動をあまりしていなかったんですけど、今年(2019年)の5月頃から、阿部さんにライブに誘われるようになって。だから、実質定期的に音楽活動をできるようになったのは、ここ4ヵ月くらいの話なんです。 どこに披露するつもりもなかったけど、自分の楽曲を聴いてもらえるようになったのはうれしいし、ライブハウスっていろんな人に会える場所なので、すごく楽しい。人とのつながりもどんどん広がっていきました。今年は転換期だなと思ってます」
―元々「趣味で曲作りをしていた」とのことでしたが、曲作りを始めたきっかけは?
CCD「自分がステージに立つという気持ちで作っていたわけじゃなくて、入院期間中にすごく時間があったので、ベッドから動けなくてもできることないかな、と思ったのがきっかけですね。パソコンが持ち込めたので、「GarageBand(ガレージバンド)」という楽曲制作ソフトを見つけて、曲作りを始めました。ちょうどDTM(デスクトップミュージック)っていうジャンルが流行り出してた時だったので、「これで作れるんだ!」と思って5、6曲作り溜めて。
イベントで披露するために、元々あった曲をベースにしながら歌詞を付けていったんですけど、曲作るよりは歌詞を書く方が楽だな、と感じました。mixiとか流行ってたじゃないですか。その頃から文章を書くのは好きで。入院中も鬱憤が溜まった時に、文字を書いて吐き出すっていうのはよくやっていたので、それを基に歌詞を作っていきました」
―具体的には、どんな雰囲気の曲が多いんですか?
CCD「DTMなのでエレクトロっぽい音が結構入ってます。
3年前の初ライブの時に、「せっかくだから何か残したい」と思って、7曲入りのアルバムを作ったんですけど、その時は、楽曲制作ソフトに入っているいろんな音色を、あれもこれも使いたい!って思って、すごく足し算してました。機材も知識もなかったので、パソコンに直接歌を吹き込んで作ったりしていて、かなり手作り感のある1枚です(笑)。
最近は作り方が少し変わってきて、1曲通して同じフレーズが流れているものが多いです。サウンドは引き算して、その分ボーカルは足し算してます。一音だけで歌うんじゃなくて、違う音をいくつか重ねたり、ハモったり。
歌詞は、抽象的なものが多いですね。肉体的な話をあんまり書いてないというか、魂があるとすれば、そこで起きていることを歌っているというか。こういう話をすると、「この人大丈夫かな!?」って心配されるのでなかなか言いにくいんですけど(笑)。入退院を繰り返している時に、40日以上眠り続けたことがあって。その時見てた夢って、伝えるのがすごく難しいんですけど、なんとか言葉にしようとして、いろんな曲に入れてます。
キャッチーな歌詞とか、ストレートに伝わるような言葉ではなくて、すごく迂回した表現が多いです。でも受け取り方って人それぞれじゃないですか。「1000打って、1届けばいい」と思いながら作っています」
―シンガーソングライターとして音楽活動を始めて良かったと思う瞬間はありますか?
CCD「音楽のつながり方ってすごいな、と感じることは多いです。数年会ってなくても、何回かしか会ったことなくても、音楽を通して知り合った人だとつながりが強くて。音楽自体が、時間も場所も、たぶん国境も飛び越えられるものなんだろうな、と思います。私自身が歌を歌うようになって、これからさらにそういうつながりを作っていけるんだと思うと、すごくワクワクします」
―音楽活動を通して、CCDさんが伝えたいことは何ですか?
CCD「初めてイベントをやった時に、後付けではあったんですけど、自分が今抱えている病気――拡張型心筋症について、いろいろと思っていることを話していこうと思ったんです。
私は補助人工心臓を埋め込んだ時から、このヘルプマークを付けていて、「外見からは分からないけど、実は何かしらの障害がある」という方が持っているものなんですけど、これを知っておいてもらえるとありがたいな、と思って。まずは知ってほしい。知っているだけで、少し周りの人に優しくできると思うので。
それにプラスして、自分は心臓移植待機者でもあるので、移植医療の世界的なシンボルマークであるグリーンリボンについても話すようにしています。グリーンリボンには、臓器を提供してほしいということではなく、意思表示をしてほしいという意味があって。提供したい、したくないという意思を、一度家族で話してみてほしいんです」
―病気のことやヘルプマーク、グリーンリボンのことなどを発信していく上で、モチベーションになっていることは?
CCD「この先私が心臓移植をすることになった時、亡くなったご本人か、そのご家族が、臓器を提供する意思を表明してくれたということで。誰かから生きるチャンスをいただいて生きていくのだとしたら、漫然と生きてられない、自分がやれることをやらないと、と思ったんです。せっかく音楽活動という形で、人前で話す機会をもらえたんだから、普及・啓発をしていこうと。
最初の頃は込み上げるものがあって、ステージ上で泣いてしまうこともあったんですけど、最近はちょっと落ち着いて話したり、歌ったりできるようになりました。自分の伝えたいことが、届くといいなぁと思いながら、ライブに臨んでいます。
あと音楽活動と並行して、1年前から「SPOON(スプーン)」というラジオアプリでラジオ配信もしていて、結構反響が大きいです。「ヘルプマーク見かけたよ」とか「臓器移植の話、家族としてみたよ」とかレスポンスをもらいました。
ブログ、ライブ、ラジオと、自分なりのやり方で発信していることが、どんどんつながっていってる。何か考えるきっかけを渡せたなら、やってみて良かったなと思います」
―2019年10月12日(土)には「福島ストリートミュージックフェスティバル」に出演が決まっています。出演の声がかかった時はどんな気持ちでしたか?
CCD「めちゃめちゃうれしかったです!aveさんだったり、菅野恵さんだったり、知ってるアーティストの方々が出るイベントに、自分も出られるのがすごくうれしい。野外で歌うのは初めてなので、すごく緊張すると思うんですけど、いつも通りやりたいです。伝えたいことをうまく伝えられればいいな、と思います」
―最後に、今後の目標を教えてください。
CCD「目標は、続けることですね。心身ともに健康でいる時にしかできないことなので。体調が安定している限り、歌は作り続けていくと思います。
あとは、この先心臓移植が無事終わったら、絶対またイベントを企画したいと思っています。今、移植の順番待ちをしている状態なんですけど、お医者さんからは、あと2年半くらい待つことになるかなと言われていて。これまで機械を入れる前後でイベントを開催してきたので、補助人工心臓を卒業した後にも、また開催したい。臓器移植がゴールではないから、きっと何かしら思うこと、話したいことが出てくると思います。それをイベントという形でまた伝えていきたいです」
(取材日:2019年9月9日)
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取材・撮影協力/U-ONE MUSIC 阿部さん(@outline1)
撮影場所/Player's Cafe