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古関裕而のまち福島市・街ネタ

俺たちはまだ本当の川俣町を知らない【連続テレビ小説「エール」感想】

連続テレビ小説「エール」超☆福島解説~第3回~

  • 情報掲載日:2020.04.24
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

川俣町の描かれ方に物申す

主人公・裕一が銀行員時代を過ごした川俣町。最初に登場したのは、母親・まさが、子どもの裕一を連れて、里帰りした場面でした。大道芸人がいたりする、活気ある町として描かれていました。

その後、銀行員時代になると、大賑わいのダンスホールやおしゃれなレストランがある、きらびやかな町としての側面も伝わってきました。そんな場面を見るにつけ、私を含めて多くの福島県民はこんな風にツッコミを入れたたはず→「川俣はこんなに都会じゃねえよ!」

川俣の人、ごめんなさい(でも、これが正直な感想)

気になって調べてみたら、大正9年(1920年)の川俣町の人口は約21,000人、対して福島市は36,000人。数字的には、今より全然、都市規模に差がなかったことが発覚(ちなみに今は福島市の方が20倍以上人口が多い)。しかもこの頃、川俣町を含む伊達郡一帯は養蚕業で栄えており、良質な絹を海外にも大量に輸出していて、ブイブイ言わせていたそう。そう考えると、あれぐらい都会に描いた方が、当時の様子に近かったのかも。う~ん、思い込みはいかんですね。

川俣町には、町のあちこちに「絹」や「シルク」の文字が。川俣町民の「絹LOVE」精神が伝わってきます
川俣町には、町のあちこちに「絹」や「シルク」の文字が。川俣町民の「絹LOVE」精神が伝わってきます

また、高校を卒業した裕一が銀行員になるべく川俣町へ向かう時、なにげに汽車に乗ってました。

この場面を見て、「川俣には鉄道通ってねえよ!」と、ツッコミを入れた人いませんか?でも、このツッコミはハズレ。

当時は、大正15年(1926年)に開通した国鉄・川俣線が走っていました。昭和47年(1972年)に廃線になっているので、知らない人は多いかも。鉄道が敷かれるほど、人や物の行き来があった栄えた町ということを、さりげなく伝える意図で挿入した場面かもしれません

旧川俣線の沿線にある福島市飯野町の道端に展示されているSL。当時走っていたものと同型のものだそう。今はなんか愛おしく見えます!
旧川俣線の沿線にある福島市飯野町の道端に展示されているSL。当時走っていたものと同型のものだそう。今はなんか愛おしく見えます!

広瀬川から始まるローカルなつながり

それと、川俣町のシーンには、街なかを流れる川(運河?)と橋がよく映り込みます。第15話では、この川にかかる橋のところで、大人になった鉄男(元ガキ大将)と再会したり、憧れの踊り子・志津(実名:とみ)にフラれたりと、かなり露出度多めでした。

この川、実際の川俣町に当てはめると、おそらく「広瀬川」でしょう。市街地を縫うように縦断していて、裕一が務める川俣銀行のモデルとされる「東邦銀行 川俣支店」からも近いので、そう考えて、まず間違いないと思います。

ドラマに出てくる川よりは、ちょっと川幅広めの広瀬川。昔の名残が感じられる蔵もチラホラ残ってます
ドラマに出てくる川よりは、ちょっと川幅広めの広瀬川。昔の名残が感じられる蔵もチラホラ残ってます

最後にウンチクを少し。この広瀬川、最終的には20kmほど下流にある伊達市梁川町で阿武隈川と合流します。そして、この合流地点からほど近い場所には、その昔、「広瀬座」という芝居小屋がありました。広瀬川の氾濫でたびたび水没しながらも、途中から映画館になったりして、昭和50年代まで使われたそうです。で、現在は移築されて、福島市にある「民家園」で展示されています。

第13話で印象的だった、裕一が所属する福島ハーモニカ倶楽部の演奏会のシーン。あの会場として撮影に使われたのが、なんと、この広瀬座でした。川俣町~広瀬川~広瀬座をつなぐ、この何ともいえない地味なバトンリレー的展開。ローカル心をくすぐります(笑)。

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